unakowa's diary

子どもの質問に全力で答えるブログ

安保法案の噛み合わなかった議論をふりかえる


安保法案の話はもう流行らないと思うけど、この夏日本中で議論がかみ合わなかった気持ち悪さを消化するために書いてみる。

あの法案を巡っては、賛成派が反対派を互いに「○ヨクはなんて感情的でお花畑なんだ!」と○に左右どちらを入れても成り立つ文章で批判しあっていたのが馬鹿々々しかった。

なんでそんなことになったのか。
それは、人によってあの法案が「なに」かの理解が違ったからじゃないかと思う。

日本国内には集団的自衛権を巡ってa~fまで何種類か意見がある。

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a.防衛力のために日本を普通に戦争出来る国にしたいという人たち。小林よしのりとかはここに入ると思う。
b.集団的自衛権は持ちたいし出来れば改憲したほうがいいけど、難しいなら無理やりでも天皇を中心とした神の国を作りたい人たち。現憲法を重視しない日本会議の人たち。
c.国際協力のためにPKOは必要だけど自衛隊改憲して出したほうがいいと思う人たち。
d.PKOのための集団的自衛権はなんちゃって集団的自衛権なんだから憲法解釈で十分と思ってる人たち。
e.PKOなんかやっても日本のためにならない、個別自衛権を強化すべきと思ってる人たち。徴兵制賛成。多分少数派。
f.9条に書いてる個別的自衛権以外だめでしょ、という人たち。共産党の人たち。

ここで、あの法案の集団的自衛権は①なのか②なのかが問題になる。
今回の法案に賛成する人はbとdしかいないわけだが、dの中でも、この法案が①だと思った人や①か②かはっきりしないので法に不備があると思った人は除外される。

本当は改憲したほうがいいと思うけど法案は賛成派は、話がややこしくなるのでbかdにじっとしててもらうとすると、あの法案に賛成な人は
bの日本会議の思想にシンパシーがある人
dでこの法案はPKO用に決まってるでしょという人
しかいない。

bの(彼らのファシズム思想に共感しない人からは基地外に見える)発言を省くと、賛成派の知識層はdのPKOでしょ派で、彼らの発言の背景は「この法案が①だと思うなんて法案を読んでないだろ」「②だと思って反対してるんなら現実どうする気だ。お花畑だな」「このぐらいで改憲しろだなんて手続きばっかり重視しすぎだろ」という意識だと思う。

実際、彼らの「この法案は②」という理解は原則正しいと思う。

だけど一方彼らは、法案が①か②かはっきりしてなくて①の可能性を払拭できない点を軽視している。

それは、彼らがbに対する恐怖心(嫌悪感)が弱いからだ。

fの共産党のように多様な意見の持ち主はもちろんいるが、過去のPKO派兵で大きな反対運動が起きなかったことからもわかるように、多数派はdであろう。そのdにいる人たちが、bへの恐怖心(嫌悪感)の強さで2つに分かれた。

bを恐怖する人は、①ではないとはっきりしていないのでイヤ。

bに何も感じない人は、普通に考えて②でしょ。なのでOK。

世論が紛糾したのは、賛成派が反対派の「bはイヤ!①なのか②なのかはっきりしろ!」という恐怖心を理解出来ず、フツウの安保法制の論点ばかり議論していたためだと思う。

海外メディアが「この問題は国民の現政府への信頼感のなさからくる」と報道していたのが正しいと思う。政府が「②だよ。他に使わないよ」と宣言すれば何も紛糾しなかったものを、残念ながら現政権はbの政権。不安感をあおる発言が多発された。

 

何故、人間には男と女しかいないのか?

遺伝子という言葉を聞いたことはありますか?
遺伝子は、私たちの体を作る設計図のようなものです。
設計図は人によって違いますが、半分の情報はお父さんから、もう半分の情報はお母さんから受け継いでいます。
お父さんとお母さんという二人の遺伝子を組み合わせて、お父さんともお母さんとも違う新しい人間を作り出すために男と女という性別があります。
つまり子孫を作り出すための仕組みのようなものです。

高性能の顕微鏡で見ると、女の遺伝子はXX、男の遺伝子はXYの形をしていることがわかります。
XX(母)とXY(父)を掛け合わせると、
母のXと父のXでXX(女の子)
母のXと父のYでXY(男の子)
と同じ確率で男の子と女の子が生まれることが分かります。
この仕組みだと、世界が女ばかりや男ばかりにならずにすみます。

逆に、もし第3の性のYYがあった場合、XXとYYを掛け合わせるとXYしか生まれず、XYとYYの組合せもXYとYYのみなのでXXとYYの出現数は6人に1人なのに、XYの出現数は6人に4人と、世界がXYばかりになってしまいます。
1種類の性別だけ多くなるとカップルを作るのが大変になり子どもが生まれにくくなってしまいます。

XXとXYのカップル⇒ XXとXY
XXとYYのカップル⇒ XYとXY
XYとYYのカップル⇒ XYとYY

多分ですが、これが性別が男と女だけの理由だと思います。

一方、人間以外の動物や植物、昆虫を観察すると、人間と同じく男と女に分かれて子孫を残す生き物と、1種類の性別だけの生き物があります。
自由に動き回れる生き物は男女、一か所にじっとしている生き物は1種類のことが多いようです。
1か所にじっとしていないといけないと、結婚相手に出会う可能性が低いからではないかと言われています。

また、実は人間にも数千人に一人の割合で、男でも女でもない、または男でも女でもある人が生まれます。
半陰陽、または両性具有と呼ばれる人たちです。
どうしてこういう人たちが時々生まれるのか。遺伝子は時々こういう不思議なことをしますが、うっかりなのかわざとなのかはわかっていません。

また、体の形を決めるXXとXY遺伝子以外にも、体はXXだけど心は男の子だったり、体はXYだけど心が女の子だったりする人もいます。ある調査では20人に一人こういう人がいるそうなので、クラスにも一人か二人いるのかもしれません。
こういう人たちのことも、遺伝子がうっかりなのかわざとやっているのかはわかっていません。

遺伝子は自分の情報を残すために、一番確率が高い方法を選ぶと言われています。
なので、もしわざとなら、もしかすると男でも女でもない第三の性別が未来に出てくる前触れなのかもしれません。

子どもの人気を集めるアニメは、どこがおもしろいのか?

子どもはどういうものを面白いと思うのでしょうか?

子どもに限らず人間が何かを見て面白いと感じるのは、ある程度の安心感の中で心に刺激を受けたときです。

安心感は、起承転結などのお話の形で伝わります。

例えば「昔々…」から始まるお話は、
起:おじいさんとおばあさんが不思議な子供を授かり
承:その子供がいろいろ不思議なことをして
転:その子が鬼退治に行ったり、怖い目にあったりしますが
結:最後は幸せな結果になる
というお話しが多いのは、同じパターンのお話だと聞いている人が安心して聞けるからです。

次に刺激です。
刺激には快感(楽しい、好き)と不快感(怖い、嫌い)があります。

快感は、電車やお菓子など好きなものが出てきて快感(楽しい)と感じる場合もあれば、『最後はみんなで幸せに暮らしました』というお話の展開で快感(嬉しい)と感じることもあります。

また、人間は快感だけでなく不快(怖い、嫌い)なものを見ても面白いと感じるときがあります。
お化けが出てくる話や、人が死んでしまうお話も人気があります。

楽しいことと怖いことのバランスがうまく取れたお話が面白いと言われることが多いですが、
楽しいことばかりのお話が好きな人もいれば、怖いことがいっぱいのお話しが好きな人もいます。
なので、同じお話を見ても、人によって面白いと思う人もいれば面白くないという人もいます。

では、みんなが面白いと思うアニメや漫画はどうやってできるのでしょうか。

たくさんの子供が面白いと言ってくれると、みんなが映画代を払ったりグッズやおもちゃを買ってくれるのでお金が儲かります。なのでアニメや映画はたくさんの大人がたくさんの時間とお金をかけて、どうしたらたくさんの子どもが面白いと言ってくれるか考えながら作っています。

その時考える大事なことは以下の3つです。

1)楽しさと怖さのモチーフに何を使うか
電車、恐竜、ダンス、お化けなど、何が出てくるとみんなが喜ぶでしょうか。
電車ばかりだと電車好きな子は喜びますが、興味ない子もいます。
たくさんの子が喜ぶのは何かを考えます。

2)楽しさと怖さのバランスをどうするか
怖すぎると泣いてしまう子が出てしまいますが、少しの怖さはお話を面白くします。
たくさんの子が楽しいと思うバランスを考えます。

3)お話の形に何を使うか、その中で楽しさと怖さをどう表現するか
起承転結や繰り返し型など、いろいろなお話の形があります。
その中に楽しさと怖さをどう入れていくかを考えます。
例えば最初にみんな死んでしまって主人公が一人ぼっちという悲しい場面から始まるお話もあれば、
最初はみんなで楽しく暮らしていて、途中で怪物が襲ってくるという展開もあります。

ですが、人の心の動き方はわからないことが多いので、どれだけ一生懸命考えても、誰も面白いと言ってもらえないお話ができることもよくあります。

面白いお話を作れるようになるには、自分がお話を見たり聞いたりしたとき、どこに、何故面白いと思ったのか、自分の心の動きを注意深く観察することです。
また、自分が面白いと思ったものを人が面白いと言わなかったときも、何故だろうと考えてみると、どんな人がどんなものを面白いと思うのかが分かるようになるので、お話を作るときの参考になります。

 

募金以外で世界の困っている人を助ける方法は?

 

困っている人ってどんな人でしょうか?
逆に私たちも、どうなったら”困っている人”になるのでしょうか?

世界にはいろんな困っている人たちがいます。
食べ物がない人、住む場所がない人、病気が治らない人、友達が欲しくて困っている人もいるかもしれません。
この人たちは「普通の生活をするために必要なもの」が足りない状態にいます。
つまり逆に言えば、困っている人とというのは、生活するために必要なものが足りていない人だと言えます。
この人たちが生活するために必要なものを「資源」と言います。

資源にはいろんな種類があります。

1つ目は「物の資源」です。衣(着るもの)食(食べ物)住(家)などのことを言います。
2つ目は「人の資源」です。病気を治してくれるお医者さんや、勉強を教えてくれる先生、生活に必要なことを助けてくれる人のことを言います。

他にも、物の資源や人の資源に変えられるお金や、お金を生み出す仕組みのことを「経済的資源」と言う場合もあります。

困っている人を助けるには、この人たちに必要な資源をあげればいいのです。
つまり自分の持っている服や食べ物を送って助けてあげたり、病気の人を治してあげたり、お勉強を教えてあげたりすればいいのです。

でも、着る物や食べ物は、自分が持っているものをそのまま送ってあげても困っている人たちが役に立たないことがあります。サイズが合わなかったり、送る間に悪くなってしまったりするからです。
実際に行って何かをしてあげる場合も、上手に病気が治せなかったり、勉強の教え方が下手だったりすると、かえって迷惑がられたりします。

その点、お金は便利です。
お金さえあれば、必要なモノも変えるし、人に何かしてもらうことが出来るからです。

つまり、困っている人を助けるには、
① その人が必要なモノをあげるか、何かの手伝いをしてあげる
② その人が必要なものや手伝いを手に入れられるようお金をあげる

の2つになるわけですが、もう一つ
③困っている人たちにモノやお金を送ってあげる仕組みを作る
という方法もあります。

そういう活動をしている人たちはNPO非営利団体)や社会起業家(ソーシャルベンチャー)と呼ばれています。
例えばTableForTwoというNPOを作った人がいます。
TableForTwoというNPOは、誰かが食堂で野菜たっぷりのご飯を食べると、その人が払う食事代から1回あたり数十円分がアフリカの毎日ご飯を食べられない子どもたちの食事代に寄付されるという仕組みです。

ご飯を食べる人はお野菜たっぷりのご飯でダイエットできるし、食堂は野菜たっぷり寄付付メニューでお客さんをたくさん集められるから1食数十円ぐらい多く払っても困りません。

そういう仕組みを考えて始める、というのも困っている人を助ける方法の1つです。

助けたい人が自分に一番向いていると思うやり方で困っている人を助けるのが良いでしょう。