unakowa's diary

子どもの質問に全力で答えるブログ

安保法案の噛み合わなかった議論をふりかえる


安保法案の話はもう流行らないと思うけど、この夏日本中で議論がかみ合わなかった気持ち悪さを消化するために書いてみる。

あの法案を巡っては、賛成派が反対派を互いに「○ヨクはなんて感情的でお花畑なんだ!」と○に左右どちらを入れても成り立つ文章で批判しあっていたのが馬鹿々々しかった。

なんでそんなことになったのか。
それは、人によってあの法案が「なに」かの理解が違ったからじゃないかと思う。

日本国内には集団的自衛権を巡ってa~fまで何種類か意見がある。

f:id:unakowa:20151010212914p:plain

 

a.防衛力のために日本を普通に戦争出来る国にしたいという人たち。小林よしのりとかはここに入ると思う。
b.集団的自衛権は持ちたいし出来れば改憲したほうがいいけど、難しいなら無理やりでも天皇を中心とした神の国を作りたい人たち。現憲法を重視しない日本会議の人たち。
c.国際協力のためにPKOは必要だけど自衛隊改憲して出したほうがいいと思う人たち。
d.PKOのための集団的自衛権はなんちゃって集団的自衛権なんだから憲法解釈で十分と思ってる人たち。
e.PKOなんかやっても日本のためにならない、個別自衛権を強化すべきと思ってる人たち。徴兵制賛成。多分少数派。
f.9条に書いてる個別的自衛権以外だめでしょ、という人たち。共産党の人たち。

ここで、あの法案の集団的自衛権は①なのか②なのかが問題になる。
今回の法案に賛成する人はbとdしかいないわけだが、dの中でも、この法案が①だと思った人や①か②かはっきりしないので法に不備があると思った人は除外される。

本当は改憲したほうがいいと思うけど法案は賛成派は、話がややこしくなるのでbかdにじっとしててもらうとすると、あの法案に賛成な人は
bの日本会議の思想にシンパシーがある人
dでこの法案はPKO用に決まってるでしょという人
しかいない。

bの(彼らのファシズム思想に共感しない人からは基地外に見える)発言を省くと、賛成派の知識層はdのPKOでしょ派で、彼らの発言の背景は「この法案が①だと思うなんて法案を読んでないだろ」「②だと思って反対してるんなら現実どうする気だ。お花畑だな」「このぐらいで改憲しろだなんて手続きばっかり重視しすぎだろ」という意識だと思う。

実際、彼らの「この法案は②」という理解は原則正しいと思う。

だけど一方彼らは、法案が①か②かはっきりしてなくて①の可能性を払拭できない点を軽視している。

それは、彼らがbに対する恐怖心(嫌悪感)が弱いからだ。

fの共産党のように多様な意見の持ち主はもちろんいるが、過去のPKO派兵で大きな反対運動が起きなかったことからもわかるように、多数派はdであろう。そのdにいる人たちが、bへの恐怖心(嫌悪感)の強さで2つに分かれた。

bを恐怖する人は、①ではないとはっきりしていないのでイヤ。

bに何も感じない人は、普通に考えて②でしょ。なのでOK。

世論が紛糾したのは、賛成派が反対派の「bはイヤ!①なのか②なのかはっきりしろ!」という恐怖心を理解出来ず、フツウの安保法制の論点ばかり議論していたためだと思う。

海外メディアが「この問題は国民の現政府への信頼感のなさからくる」と報道していたのが正しいと思う。政府が「②だよ。他に使わないよ」と宣言すれば何も紛糾しなかったものを、残念ながら現政権はbの政権。不安感をあおる発言が多発された。