unakowa's diary

子どもの質問に全力で答えるブログ

『この世界の片隅に』のセリフの変更について

この世界の片隅に』のセリフが原作と映画で大きく変更された件について、いくつかの記事を読んだ。諸々の意見が出ているが、以下の2点でコメントしたくなったので書いてみた。

  1. 当時の若い主婦として違和感のない発言だったのか
  2. 物語として、どちらの台詞が適切なのか


2については、自分は映画を1回しか見たことがないので、他の台詞も変えることで上手につなげているという指摘があるかもしれないと思っている。

 

1.当時の若い主婦として違和感のない発言だったのか

片渕監督はインタビューで台詞を変更した理由について「ほとんどの人がどうも大義とか正義で負けたとは思ってなくて、単純に科学力と物量で負けたっていう悔しさがあるとしかいっていなくて……。」という点を上げている。

自分は小学校の宿題で、祖母と祖父と大叔母に、それぞれ戦争が終わったときの気持ちを聞いた。
3人とも、周作やすずより少し年上だが、ほぼ同年代といっていいと思う。
そのうち「悔しさ」があったと述べたのは祖父だけだった。ちなみに祖父は満州終戦を迎えた。
祖母は「安堵感」を、大叔母は「虚無感」を、強く表現したことを覚えている。

祖母と大叔母、同年代の女二人の気持ちを分けたのは、戦争で犠牲になったものの大きさだったと思う。

祖母は終戦時、彼女の子供らは全員生きていた。夫の訃報は届いていなかったし、実際、時間はかかったが生きて帰ってきた。
大叔母は、夫が戦死し、子どもは、生まれつき弱かったのか1歳を迎えず死んだ。
彼女の実家は都会だったので、空襲で実家の家族はほとんど死んだそうだ。

大叔母は終戦時について「今まで信じて辛抱してきたものが変わってしまって、ずいぶんと気を落とした人も多かったんだよ」と言った。

戦争という暴力に理不尽に大切なものを奪われ、それでも、みんなで頑張らないといけないんだと思って耐えてきた。
戦争が終わったと言われても、もう自分には、頼れる夫も実家も子どももいない。

すずは、大好きな絵を描く右手を失い、晴美を死なせ、婚家での居場所を失いかけた。原爆で実家はみんな死んだと覚悟している。
すずの心情は大叔母のそれにだいぶ近いのではないか。

「今まで信じて辛抱してきたもの」を「正義」と表現した人は少ないだろうが、戦争が終わって「何のために自分は耐えたのか」と感じた人は一定数居たのではないだろうか。

また、n=2で恐縮だが、祖母と大叔母の言葉から考えると、当時の市井の女たちは在日朝鮮人への差別的待遇を、ごく自然に見聞きし、そういうもの(仕方ない社会の仕組み)として受け入れていたようだ。
一方、それはそうでも可哀想だなと思うことも、たまにあったらしい。

なので、終戦の知らせを聞いて喜ぶ在日朝鮮人を見たら、彼女らもなんらか感じたろうと思う。


2.物語として、どちらの台詞が適切なのか

戦争の重さは、水原の兄の死、実兄の死、空襲の死体を見慣れてしまう自分への違和感と、徐々にすずの心情にのし掛かってくる。

幼なじみの水原は、すずに「普通であって欲しい」と言う。
家が貧乏で海軍兵学校に入った兄も、兄の代わりに海軍に入って国を守る自分も、婚家を守るすずも「普通の営み」で正しいことだという。

水原に言われずとも、すずもまた、普通の営みを実直に行うことが善であるという規範を自分の中に持っている。
婚家が焼ければ出て行けるのにと妄想しつつ、焼夷弾の火に我に返り、必死で家を火事から守る。

その規範を頼りに、戦争による理不尽に耐え、やがて大きな犠牲を払った後は「暴力には屈しない。普通の営みを守りぬく」という彼女の中の正義に昇華する。

その心情は、鷺を追って掃射する戦闘機を睨み付けるシーンや、「暴力には屈しない」という彼女の台詞で表現されている。

彼女の使う「正義」は大日本帝国の正義や大義とは違う。彼女の家族、友人、愛する人たちの普通の営みを守ることが彼女の「正義」なのだ。

ただ、1で書いたように、すずは、当時の在日朝鮮人にも彼らなりの普通の生活があることを、また彼らが差別的待遇を受けていることもごく普通に知っていたはずだ。
一方自分とは関わりのないコミュニティは意識外においていただろう。しかし彼らが日本の敗戦で喜ぶ様を見たら、自分の正義と彼らの正義が相反していたことを理解したろう。太極旗の描写は、それを表現するためだったはずだ。

この流れで物語を解釈すると、映画の台詞は、なぜ食糧自給の話が唐突に出てくるのか違和感がある。

映画「ああ、海の向こうから来たお米、大豆、そんなもんでできとるんじゃなぁ、うちは。じゃけえ暴力にも屈せんとならんのかねぇ。ああ、なんも考えん、ぼーっとしたうちのまま死にたかったなぁ。」

 

原作「ああ、暴力で従えとった言うことか。じゃけえ暴力に屈するということかね。それがこの国の正体かね。うちも知らんまま死にたかったなあ…」

なぜ彼女の考える正義(普通の営みを守ること)が暴力に屈しないといけなかったのか。それが国力差だと理解したとする映画の台詞では、すずの感じた苦痛が弱まってしまうと思うのだ。


映画の台詞はこちらから引用させて頂いた。

『この世界の片隅に』の太極旗シーンに感じる違和感を整理してみた - 読む・考える・書く